浅野史郎研究
 
Special Topic 
 

2007.03.23 vol.9 参謀・田島良昭現る
 3月22日、浅野史郎氏は都知事選の第一声を都庁前であげた。詰め掛けた報道陣約60人と、支持者約60人を前にして、「あと4年(石原都政を)我慢するんですか」と呼び掛けた。石原都知事の本丸に殴り込みをかけたにふさわしい。
? 浅野氏が言葉を区切るたびに、支持者はトレードマークの青いスカーフ、青い小旗を振る。
? その浅野氏と支持者を、やや離れたところから見ている男がいた。参謀の田島良昭氏である。その表情は、浅野氏が自分の振り付け通りに演じてくれるかどうかを見守る演出家のようである。
? やはりじっとしていられなくなったのか、田島氏は街宣車上の浅野氏の近くまで歩き出した。そこには報道陣が大勢いる。が、誰も田島氏にマイクを向けない。取材しようとしない。
? なぜなのか、最初はわからなかったが、あっと閃いた。中央のメディアは田島氏の顔を知らないのだ、と。
? この選挙戦中、田島氏が表舞台に現れることはめったにないだろう。裏で選挙を仕切るのが、田島氏のやり方である。そのことからすれば、マスコミは絶好唯一のチャンスを逃したと言える。
 

2007.03.20 vol.8 選挙の争点について

都知事選に際し、石原慎太郎、浅野史郎両氏のマニフェストが公表された。
  石原氏は以下のように基本姿勢と政策を掲げた。
[基本姿勢]
「都民くらし満足度世界一」をめざして
 @世界一安心・安全な首都、東京を実現
 A環境最先端都市、東京を実現
 B教育と子育て支援の充実した東京を実現
[政策]
 @都民の目線による医療・福祉を推進
 A納税者・生活者の視点で行財政基盤を強化
 B「首都圏知事連合」を発足し、道州制を実現
 Cものづくり発信首都東京を実現
 D東京オリンピックを契機にした、世界に向けた文化の発信を推進
 Eシニア・熟年世代元気度日本一を実現
 F多摩地域、島しょ地域の未来を創造
 G「人生再起動」を全面支援

 一方、浅野氏のマニフェストは以下のようなものだ。
[基本姿勢]
 @東京から新しい風を起こす
 A人と自然にやさしい東京を創る
 B透明性のある都政、風通しのよい都政にする
 C納税者のお金を大切に使う
 D都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
[政策]
 @震災で犠牲者を出さない東京
 Aみんなが働く東京
 B子ども、お年寄り、みんなに優しい東京
 C環境のトップランナーとしての東京
 Dのびのびと学べる東京
 E男女が思う存分力を発揮できる東京

 両氏の公約を見ると、医療・福祉、環境、教育、雇用対策、税金の使い方については共通しているように思われる(もちろん、具体的にどう進めるか、数値目標などについては異なるが)。
  似ているようで違うのは「災害について」である。石原氏は[犯罪などの治安]に対する政策を掲げているが、浅野氏は「地震対策」を打ち出している。これは小誌の私見だが、天災がどれだけの大きさで襲来するかは予測がつかないものだ。「震災で犠牲者を出さない」と言い切れるものだろうか。現実問題として自治体ができることは、防災マニュアルの作成や避難路・避難場所を整えて、被災者を少しでも減らすことでしかないのではないか。浅野氏のこの政策は大風呂敷のように思えてならない。
  残念というか、不思議なのは、石原、浅野両氏が「首都機能移転」について一言も述べていないことである。地方の者からすると、今回の都知事選は「首都機能移転をどうするのか」「国が進めている三位一体改革をどう考えているのか」の二点が大きな争点だと思っている。これは小誌だけでなく、多くの宮城県議も述べている。首都機能移転も三位一体改革も、東京都だけの問題ではなく、地方に影響を及ぼすものだからだ。
  首都機能移転については、浅野氏は宮城県知事時代、移転賛成論者だった。石原氏はもちろん反対論者だ。仮りに浅野氏が都知事になった場合、移転をどうするつもりなのか。県知事時代のように「賛成」するならば、都民はどう思うのか。「反対」ならば、県知事時代の発言との整合性を説明する必要があるだろう。
  同様に三位一体改革も、浅野氏は県知事時代、全国知事会の急先鋒として、国に対して批判をしてきた。三位一体改革は地方分権や税源移譲に関することだが、この国の税源は事実上、東京都の税収に頼るところが大きい。有り体に言えば、「東京都のお金を地方に分配する」ことである。浅野氏は、都知事としてどうしようと考えているのか。このことも都知事選の中で都民に説明する必要があるはずだ。
  「東京が風邪を引けば、地方は肺炎になる」−−そう思っている政治家・経済人は宮城県内でもかなりいる。だからこそ、今回の都知事選が地方人としても気になるのだ。
  今からでも遅くない。候補者はこの二点の問題について、考えを述べてほしい。また、マスコミは候補者に問いかけてほしい。

 

2007.03.19 vol.7 都政運営の基本姿勢について
 都知事選候補者の浅野史郎氏がマニフェストを発表した。そのうち、ここでは「都政運営の基本姿勢について」記してみたい。
  浅野氏が掲げた「都政運営の基本姿勢」は以下の通りだ。

@東京から新しい風を起こす
  東京都政を転換することにより、この国の政治への不信感を払拭します。それによって、閉塞感に風穴を開けて、いきいきとした日本を蘇らせます。
A人と自然にやさしい東京を創る
  都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別します。社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を創り出します。
B透明性のある都政、風通しのよい都政にする
  情報公開こそ、都政を貫く基本姿勢であるべきものです。政策立案の過程も外から見えるようにし、都民、職員が積極的に参加する形の意思決定ができる体制に転換します。
C納税者のお金を大切に使う
  都民から預かる税金について、都民にわかりやすい説明をしながら大切に使います。都民に説明がつかないようなお金の使い方はしません。
D都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
  都職員全員が、都民のために仕事をするよう徹底します。それを率いる知事本人は、全身全霊で都政に情熱を傾けます。
 この5項目について、小誌の感想を述べてみたい。
  まずCDは敢えて言うまでもないことだろう。ちなみに言えば、浅野氏は宮城県知事時代、「医療福祉中核施設」の建設を「金がない」との理由で事業途中で中止するとの宣言をし、そのとき今度は「県立こども病院」の建設をぶち上げ、強引に進めた。このため県議会から「金がないと言っておきながら、新たな事業を行なうのでは理屈に合わない」と批判され、きちんとした説明をしなかった経緯がある。
  Dの「都職員全員が、都民のために仕事をするよう徹底する」は、職員からすれば怒り心頭ではなかろうか。これでは職員は都民のために仕事をしていないかのようだ。
  Bの「透明性のある都政」については異論はないが、情報公開がそのすべてとは思えない。開示できない情報・開示してはいけない情報も現実にあるのだ。また、「都民が積極的に参加する形の意思決定ができる体制」とあるが、果たして現実にできるとは思えない。すべての政策に都民の賛否を問うていたら、時間がいくらあっても足りないだろうし、それよりも都議会は不要になる。これは空論でしかない。
  @Aについては、この物言いだと、現在の都政はすこぶる圧政下にあるように思える。「石原悪代官」が部下に苛斂誅求しているかのようである。確かに石原都知事については批判する向きも多いが、浅野氏が指摘するほどの悪政なのかどうか。ワンマンということなら、浅野氏も県知事時代は「人の意見を聞かない人」と評されていた。どっちもどっちではないか。

 「基本姿勢」というから、もっと高邁な政治哲学・政治観を披露してくれるものと思っていたが、この5項目を見れば「石原氏への批判」と「常識的なこと」を掲げたにすぎないのではないか。私見を言えば「肩すかしにあった」印象である。

 

2007.03.15 vol.6 福祉について
 宮城県知事時代、浅野史郎氏は「福祉先進県構想」を掲げるなど、福祉分野については他の分野以上に発言してきた。今回の都知事選でも公約の大きな柱として打ち出すことは間違いない。
  では、浅野氏は福祉についてどれだけ熟知しているか。県知事、県社会福祉協議会会長時代にどれだけのことを成してきたか。この点について記してみたい。
  欠論的に言えば、浅野氏の福祉は、盟友であり選挙参謀である田島良昭氏の受け売りに過ぎない。現に浅野氏自ら「田島氏は私の師」だと公言している。
  浅野氏が厚生省時代に福祉分野に関わったのは、北海道庁に出向した2年間と、その後本省に戻っての2年間の、合計4年間ほどでしかない(いずれも肩書は障害福祉課長)。この4年という短時日で福祉について理解できるとは思えない。仮りに理解できたとしても、それは理論としてであり、言わば「机上の福祉」にすぎないだろう。
  もちろん「師」である田島氏は自ら「コロニー雲仙」を経営してきたことから、福祉の現場は知ってはいる。だが、田島氏が精通している福祉は「障害福祉」「施設運営者としての福祉」の範囲を出ない。
  福祉と一言で言うが、その範囲はかなり広い。障害福祉一つとっても、身体障害・知的障害・精神障害がある。障害福祉以外には児童福祉・老人福祉などがあるし、それ以外にも多岐にわたっている。
  このことからすれば、浅野氏を「福祉の専門家」「福祉に精通している人」と評するのは曲解である。正確には「浅野氏・田島氏は福祉分野の一部を知っている人」と言うべきである。
  そして、この施設福祉に偏った考え方の弊害が、宮城県の福祉分野で表面化し、今もそのために混乱している。
  具体的に言えば、弊害は二つある。
  一つは、浅野・田島両氏が強引に行なった「施設解体宣言」だ。障害者も健常者と同じように地域で暮らすべきだ、ということで、宮城県では障害者の地域移行が進められている。理論・考え方としては間違ってはいない。だが、障害者を地域に住まわせるためには、その受け入れ態勢が整備されていなくてはならない。ところが、浅野・田島氏は整備不充分のままに地域に移させてきた。そのため障害者の保護者から強い反発を受けている。
  もう一つは、宮城県社会福祉協議会が混乱していることだ。宮城県社会福祉協議会は平成17年4月、それまでの県社協、施設運営を行なう県福祉事業団、高齢者の支援事業を行なう県いきいき財団の三社が統合して、新たに発足して今に至っている。この統合を仕切ったのは田島氏で、田島氏は統合後の県社協の主要ポスト全部に、県福祉事業団系の幹部を起用した。つまり、統合以前は総合的な福祉事業を行なうために人材起用していたものが、統合後は施設福祉しか経験していない者で占められたということだ。そのため県社協の考え方・施策が施設運営に大きく偏ってしまったのだ。
  幸いにして、浅野・田島両氏が県社協を去ったことで、今後組織と事業運営について見直しができることになったと言われているが、果たしてどの程度できるか注目されている。
  浅野・田島氏の福祉観について記せばきりがない。それを一言で表すとしたら、両氏が「福祉は産業になる」と宮城県で語っていたということだけで充分かと思われる。
  確かに、福祉は産業になるのかも知れない。だが、そのことを公言する政治家と福祉関係者に、小誌は出会ったことがない。多くの政治家や福祉関係者は逆に「福祉は産業にしてはならない」「金儲けにすべきものではない」と述べている。どちらが本当の福祉の考え方かは歴然としていると思われる。
  最後に、「福祉先進県」を掲げた浅野県政下の福祉がどのようなものだったかをお伝えしよう。福祉分野の都道府県ランキングを見ると、宮城県の福祉はどの項目でも全国で中位あるいは下位にある。大仰なアドバルーンの割りには、実態は伴っていないということだ。
  「福祉の浅野」は大いなる錯覚でしかない。
 

2007.03.13 vol.5 選挙手法について
 3月6日、都知事選に正式に出馬表明した際、政党との関係について浅野史郎氏は「浅野型選挙と矛盾し、けんかになる。推薦願は出さない」と発言。マスコミはこれを「脱政党」「無党派選挙」と表現した。
  しかし、浅野氏の選挙は本当の意味での「脱政党」ではない。宮城県知事時代、小誌のインタビューに浅野氏はこう述べている。

「観衆の前で歌うとき、歌手の前にオーケストラが出ることはあり得ない。一歩下がってほしいということだ。だから政党拒否とか、政党が嫌いだと受け取られるのは本意ではない。選挙においては政党は一歩下がってほしい。但し、支援するのは勝手ですよ、ということだ」

要するに「応援するのはいいが(応援してほしいが)、オレより前に出ないで、後ろでやってくれ」ということである。虫がいい考えだし、政党にとってこれほどコケにされた形もないだろう。浅野氏は宮城県知事選に再選されたとき、この手法を駆使して圧勝。以後、この「脱政党もどき選挙手法」が浅野選挙の定番になった。
  この再選については面白いエピソードがある。浅野氏が初当選したとき、新生党・さきがけ・日本新党の推薦を受けた。再選のとき、新生党は新進党に変わっており、代表は小沢一郎氏。小沢氏は「前回も新生党として推薦した。今回も推薦したい」と浅野氏に三度頭を下げてお願いした。が、浅野氏は「政党の推薦は受けない」と拒否。メンツをつぶされた小沢氏は「浅野という奴はふてえ奴だ」と捨てぜりふを吐いたという。拒否されたことから、新進党は自民党と組んで対立候補者を擁立した経緯がある。
  その小沢氏率いる民主党が今回の都知事選で、かつてと同じように浅野氏から「推薦は受けない。支援するのは勝手」と言われて、それに従っている。政党が浅野氏に手玉にとられているということだ。
  小誌は浅野氏のこうした選挙手法を、有権者に対する「捏造」だと思っている。「脱政党」「政党からの支援は受けない」と大見得を切れば、いかにもカッコいい。相手が巨大政党の支援を受けている石原都知事だから、なおのこと「か弱きヒーロー対強力軍団」という構図に見え、弱者を応援したくなる。だが、この「弱者」は裏ではしっかり政党集団の支援を取りつけ、その力を利用しようとしている。
  如何に選挙手法とはいえ、これは有権者をごまかしていることになるのではないか。
  同様に、浅野氏は「政党と同調している」のではなく、「政党を利用している」のだ。民主党や社民党は政党のプライドを傷つけられているということだ。それにも関わらず、浅野氏の言いなりになり、支援する理由が小誌にはわからない。
  政党との関係で言えば、石原都知事側も同じだ。「自民党の推薦を受けない」と言いながら、しっかり支援を受けている。これは浅野氏も石原氏も「政党色が出ると無党派層を取り込めない」と考えているからだ。確かに、は有権者の中に「政党嫌い」が広まっている。しかし、候補者の影に隠れて政党が蠢いているのでは、よけいに政党嫌いを増大し、それが政治不信、政党不信を誘発することになるのではないか。
  政党も候補者も正々堂々と名乗りを上げて勝負すればいい。このように書くと「お前は共産党支持者か」と言われそうだが、そうではない。偉そうに聞こえるかもしれないが、小誌は「わかりやすい選挙をすべきでないか」と言いたいだけだ。むろん、誰を支持しているわけでもない。ただ、宮城県で雑誌を発行している者として、都民や中央のマスコミが知っていない、もしくは誤解している浅野史郎氏の宮城県知事時代の実態を伝える必要があると考えているだけである。
 

2007.03.09 vol.4情報公開の実態
 浅野史郎氏が事あるごとに「情報公開」を言い、マスコミも浅野氏を情報公開の立役者のように取り上げている。このため東京都民の多くは、宮城県の情報公開システムは完璧だという印象を持っていると思われる。だが、実態は違う。かなり使い勝手が悪いのだ。
  第一に、宮城県民が情報を公開してもらうためには、わざわざ県庁まで足を運ばなくてはならない。情報ネットが県内市町村とリンクしていないのだ。
  第二に、県庁内にどういう情報があるか、県民はほとんど知っていない。なぜなら県が積極的な広報活動を全くしていないからだ。また、情報公開の窓口になっている県庁内の県政情報センターには、各部署のデータがファイル化されているが、百科事典の索引のように項目別に一覧できるように整理されていないために、どのファイルにどういう資料があるか、探すのに苦労する。
  第三に、これが重要なところだが、すべての情報が公開してもらえるとは限らないということだ。情報開示請求したとしても、その情報を管轄する部署が公開したくないと判断すれば、「開示できない」「一部分のみの開示」になる。
  実は、小誌はかつて浅野氏の参謀の田島良昭氏が宮城県福祉事業団理事長だったとき、田島氏の経歴・役員報酬・勤務状態などについて開示請求したことがある。県の外郭団体のトップであれば、事実上、公人といって差し支えない。ところが、開示されたのは田島氏の姓名とコロニー雲仙の経営者ということのみ。生年月日も学歴も、一切が黒塗りされていた。

 以上のように、宮城県は情報公開で先進的だと言われているが、その中身たるやお粗末なものなのだ。
  ちなみに言えば、こうした情報公開の利用件数は年間1000件に満たない。誰が利用しているかと言えば、主に仙台市民オンブズマンであり、その他はマスコミである。県民にはほとんど寄与していない。
  さらに言えば、オンブズマンが都道府県情報公開ランキングなるものを毎年実施し、宮城県はトップに位置しているが、その最大の理由はコピー代が10円と割安なことによる。情報公開の質や量は全く無関係なことでランクが決められているということだ。
  「浅野氏が情報公開を進めた」などとマスコミは持ち上げているが、その実態を知って書いているのか、と小誌は言いたい。浅野氏=情報公開というのは、つくられた虚像でしかない。

 

2007.03.08 vol.3「改革派知事」の中身
 浅野史郎氏をマスコミは「改革派知事」と評している。浅野氏が宮城県時代、県庁内の食糧費の不適正な支出やカラ出張問題など悪しき慣習にメスを入れたことから、そう呼ぶのだろうが、これは大きな錯覚である。
  「改革派知事」について、浅野氏は知事時代、小誌のインタビューに以下のように答えている。
 
  小誌 浅野さんは「改革派知事」と呼ばれていますが。
  浅野 「改革派知事」というのは複数系なんです。「改革派」という一つの括りがあって、浅野知事はその一人だということ。橋本大二郎(高知県知事)、北川正恭(前三重県知事)、増田寛也(岩手県知事)、片山善博(鳥取県知事)という人たちが改革派知事と言われた。何となくそういうグループに見られた。これは47都道府県知事の中で気が合う人たちであり、一緒に行動もしてきた。最初は「地域から変わる日本」という活動をし、知事会とは別な活動や特殊な勉強会・研究会を行ない、その顔ぶれがいつも一緒だった。そうした一団と僕が見られたから「改革派知事」と言われたのだろう。

 この発言からわかるように、「改革派知事」というのは全国知事会の中で活動してきたことを指している。具体的に言えば、「戦う知事会」として国に対して急先鋒的な発言してきたメンバーが「改革派知事」と呼ばれていたということだ。それを県庁内の慣習打破と結びつけるのは、大きな錯覚である。
  また、冒頭の県庁内の悪しき慣習にメスを入れたことも、浅野知事が行なったことは確かだが、自ら積極的にしたものではない。オンブズマンから追及され、それに乗っかって行なったというのが実態である。
  百歩譲って県庁内改革を浅野氏がしたとしよう。では、浅野県政3期12年の間、宮城県民にどういう貢献をしたか。ほとんど何もしていない。
  中央のマスコミや地元のテレビ局は「都知事選に浅野前知事が立候補することについてどう思いますか」とマイクを傾けている。誰に聞いているのかと見れば、仙台市民に聞いている。しかし、仙台市は政令都市で言わば県政の影響下にない独立自治体である。浅野県政がどのようなものだったかを聞くなら、仙台市民ではなく、宮城県内郡部の住民から聞かなくては実態はわからない。
  浅野氏の知事時代の実績が評価されているのは、マスコミがそのように取り上げていることも大きい。「改革派知事」との評価はその最たるものである。

 

2007.03.07 vol.2 非常識な人
 1月末に浅野史郎氏は「宮城県社会福祉協議会会長職を3月末限りで退任する」と表明した。理由は「慶応大学教授の仕事が忙しく、県社協会長の仕事を果たせない」というものだった。その後、浅野氏は3月5日に当日をもって県社協会長を辞職する旨の辞職届を県社協に提出して、そのまま辞めてしまった。理由は言うまでもなく、都知事選出馬で忙しくなったからだ。
  指摘しておきたいのは、浅野氏は県社協の評議員会・理事会で何一つ退任の挨拶をしないで去っていったということだ。付け加えておけば、浅野氏の選挙参謀を務める田島良昭氏も、平成17年10月の宮城県知事選で浅野・田島氏が推した候補者が落選すると、突然、県社協副会長を辞めている。
  浅野・田島氏は、「障害者も地域に住まわせるべき」との趣旨で「施設解体宣言」をし、障害者の受け入れ態勢が整備されていないにも関わらず、強引に地域移行を進めてきた。また「宮城県内の市町村社協の運営を変える必要がある」との名目で、「あり方検討委員会」なるものを県社協内に設置し、独善的に市町村社協に踏み込んできた。この「施設解体」と「市町村社協の改革」のために、現在の県社協と市町村社協は混乱状態にある。
  その「かき回してきた二人」が揃いも揃って、自分の都合で退任の挨拶もなく辞めて、今度は都知事選に奔走しているのである。余りにも身勝手すぎるのではないか。しかも、このような二人が「福祉の専門家」「福祉はライフワーク」と言い、如何にも弱者に手を差し伸べてきたようなことを述べ、東京都の福祉を変えなくてはならない」などの公約を掲げている。
  自分のことしか考えてこなかった人間に、福祉を語る資格があるだろうか。出処進退の挨拶もできない人間が、東京都庁という巨大な組織のリーダーとして果たしてふさわしい人物だろうか。
  小誌は浅野氏の知事としての能力にも疑問を持っているが、それ以上にその「人間性」にどこか欠陥があるように感じられてならないのだ。
 

2007.03.05 vol.1 責任感について

  浅野史郎・前宮城県知事(現・宮城県社会福祉協議会会長)が都知事選に出馬したことから、これまでいささかなりとも浅野県政と県社協について取材・記事掲載してきたからでしょうか、小誌のホームページのアクセス数が激増しています。それだけならまだしも、「ホームページ内のコラムの中に浅野氏に関するコラムが点在しているけど、探すのが面倒で読みにくくてしょうがない。一つのコラム欄にまとめてもらえないか」という声が数人の読者からありました。
  生憎、当方はパソコン操作が不慣れであり、これまでのコラムをまとめる時間的ゆとりもありません(「パロスを早く出してくれ」「浅野氏の記事を読みたい。待っている」という読者からの激励が数件寄せられており、それに応えるべく原稿を書いているのですが、浅野氏が県社協会長を辞めたと思うと、今度は都知事選に出馬ということで、何度も原稿の書き直しをするはめになっています。)。
  そこで、これまで小誌が取材を通して知り得た浅野史郎氏の実像や知事時代の実績などについて、「浅野史郎研究」と題して随時書き込んでいくことにしました。もちろん、小誌のことですから、浅野氏に関しては厳しい批評になりますが、そのことを割り引きながら読んでいただければと思います。

 浅野氏が都知事選に出馬するということで、第一に感じたのは「節操のない人だ」ということである。
  浅野氏は2月初めに「慶応大学教授としての仕事が忙しく、県社協会長として務めることができない」との理由で、この3月末いっぱいで県社協会長を辞職すると表明した。ところが、それから1カ月もしないうちに、今度は都知事選出馬である。県社協会長の退任理由は何だったのかと思わざるを得ない。
  浅野氏はこれまで何度も「福祉は私のライフワーク」「知事は卒業した」と公言している。そのことからすれば、県社協会長退任と都知事選出馬は自らの発言を否定したことになる。そのため、浅野氏を支持してきた福祉関係者からも、いや支持してきたからこそ「福祉はライフワークというのはウソだったのか、という思いが強い」「裏切られた」という声が少なくない。
  小誌が今、聞いてみたいのは、慶応大学学長の感想である。「大学が忙しいから県社協会長を辞める」と都知事選出馬の言い訳に利用されたのだ(結果的にそうなるだろう)。果たしてどういう思いでいるのだろうか。
  鬼の首を取ったように言うわけではないが、やはり政治家にとって言葉は何よりも大切だろうし、言動に責任を持つべきだろう。浅野氏は知事時代も言行不一致なことで、県議会から批判されたことが何度かある。
  今回にしても「民主党が他候補を擁立するなら、自分は出ない」と言ったかと思うと、「民主党の支援は受けない」と言うように、その言葉には一貫性がない。
  小誌はこうした浅野氏の「節操のなさ」を性格によるものと思っている。それでいて本人が述べているように「パフォーマンス好きで目立ちたがり屋」なために、県民受けするようなアドバルーンを揚げては完結しないうちに、次の施策をまたぶち上げるということを、宮城県知事時代に繰り返した。
  その意味からすると、浅野史郎という政治家は「誰よりもタレントらしい人」である。問題はそれが政治家として望ましいかどうかということだろう。

 

 
VOL1 責任感について VOL11 「女性勝手連」を傍聴して
VOL2 非常識な人  VOL12 「新人」という意味
VOL3 「改革派知事」の中身 VOL13 お任せ選挙
VOL4 情報公開の実態 vol.14  浅野氏の敗因
VOL5 選挙手法について vol.15  今後の進路
VOL6 福祉について  
VOL7 都政運営の基本姿勢について  
VOL8 選挙の争点について  
VOL9 参謀・田島良昭現る  
VOL10 「福祉公約」への質問  
   

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