平成5年に浅野県政がスタートして、早や11年を経た。この間、浅野知事は「福祉先進県構想」を皮切りに情報公開、県庁改革に着手し、今また「緊急経済産業再生戦略」に取り組んでいる。だが、県民のために何を成し得たかとなると、これといった結果は見えていない。また一方では、その政治手法のために県庁・県警・県議会から反発・批判を受けている。来年秋に知事選を控え、3期12年の区切りを目前にする今、改めて「浅野県政とは何か」「浅野知事の政治手法」について、改めて検証する必要があるだろう。
シリーズの第1回は「その性格がもたらすもの」について探ってみる。
性格と才能は天与のものであることからして、褒めることはあっても、批評すべきものではあるまい。だが、為政者となれば話は別である。その性格が往々にして政治手法・政策に大きく関わってくるからだ。殊に浅野史郎知事の場合、この傾向が多分に強い。持ち前のパフォーマンスにしても、その性格を抜きにしてはあり得ない。
こうした目立ちたがり屋で、物事の本質を捉えず、学習意欲に欠け、他人の意見を聞かない自己中心型の性格をもつ人間が、政策遂行責任者になったらどうなるか。必然的に大衆受けを狙った「パフォーマンス政治」になるのは眼に見えている。政治の世界にあってパフォーマンスはある意味で必要なものだが、度が過ぎると「麻薬」と化す。
ところが「パフォーマンス政治」の場合、そうした悠長なことは言っていられない。大衆受けを狙うことが重要になり、そのためより突飛なアイデアに走ることになる。しかも、大衆からソッポを向かれる不安が常にあることから、麻薬中毒患者よろしく矢継ぎ早に打ち出す必要に迫られ、詰まるところ、その場しのぎの場当たり的なものにならざるを得ない。
その結果、本来の政策目的である「県民のための成果」ではなく、「政策を掲げること」そのものが目的になってしまう。これは「政策」と言えるものではなく、単なる「大風呂敷」「アドバルーン」でしかあるまい。
浅野県政の11年を振り返ってみるとき、こうした「パフォーマンス政治」に尽きていることは否定しようがない。