前号で小誌は田島良昭・県福祉事業団理事長のインタビュー記事を掲載した。田島氏は福祉事業団理事長を一度辞して復帰する一方で、否決されたものの副知事にも意欲を示し、さらには浅野県政スタート時から今に至るまで浅野史郎知事の政治指南役として陰に陽に行動していることは、県庁・県議会内ではつとに知られている。そのため田島氏の目的、知事との関わりについて質してみる必要があると思い、小誌は取材を申し込んだものである。時間の制約もあって、それらの本丸にまでは踏み込めなかったが、田島氏という人物の片鱗といくつかの矛盾点が明らかになった。今号ではその点について詳述する。

前号で小誌は田島良昭・県福祉事業団理事長のインタビュー記事を掲載した。田島氏は福祉事業団理事長を一度辞して復帰する一方で、否決されたものの副知事にも意欲を示し、さらには浅野県政スタート時から今に至るまで浅野史郎知事の政治指南役として陰に陽に行動していることは、県庁・県議会内ではつとに知られている。そのため田島氏の目的、知事との関わりについて質してみる必要があると思い、小誌は取材を申し込んだものである。時間の制約もあって、それらの本丸にまでは踏み込めなかったが、田島氏という人物の片鱗といくつかの矛盾点が明らかになった。今号ではその点について詳述する。
田島氏が「福祉事業団を辞める」と公表したのは、平成14年12月である。このとき田島氏は「辞めたあとは長崎に帰る」と明言している。ところが周知のように、その翌年の2月県議会と6月県議会に浅野知事は「田島副知事案」を提案した(結果は否決された)。
では、いつ頃知事から副知事の打診があったのか。田島氏は「平成14年の10月頃だ。『施設解体宣言』の前だ」と答えている。
驚くではないか。混乱を招くような「施設解体宣言」を唐突にぶち上げ、直後に「福祉事業団を辞めて長崎に帰る」と言って、「解体宣言」の尻拭いをする人間を自分で選び、
その実、副知事になるシナリオがあらかじめ出来上がっていたというのだ。余りにも身勝手・無責任だろう。
しかも、この理事長への復帰は矛盾した行為である。田島氏はインタビューでこう言明しているからだ。
まず2期4年で理事長を辞職したことに対しての弁。「『解体宣言』をきちっとすれば、あとは事務的に淡々とやっていけばできる。職員も育ち、力をつけてきている。私がいようがいまいが、中・長期計画を作ってやれば、力を発揮できる」 次に理事長復帰に際しての発言。「今の役割は事業団をきちっと改革すること。これは私のライフワークだから」 「自分がいなくても立派に運営できる」と述べた人間が、辞めた1年後に、掌を返したように「事業団を改革することがライフワークだ」と言う。これほど矛盾した発言はないだろう。
もう一つは、浅野知事に対する評価だ。田島氏はこう述べている。「知事は政治的な部分がどちらかというと弱いのでないか。特に議員や市町村の首長たちとの意思の疎通が非常に弱い。県議や首長たちと膝を交えてじっくり話し合い、彼らの意見をもっとしっかり聞くことだ」
さすがに長いつき合いだけに、田島氏は知事の独断専行な性格をよく知っているのだ。そして田島氏が県政に関与しているのは、知事のこのアキレス腱を自分がカバーするということなのだろう。しかし、知事のこのワンマン的な性格・手法は、これまで記したことからも窺われるように、田島氏にも共通しているものである。同時に、越権行為の県政関与を行なっていることこそが、県庁・県議会、あるいは事業団職員から田島氏が信頼を得ていない要因になっていることは否定できない。