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目的なき
「パフォーマンス政治」
浅野前知事のインタビューで何よりも驚かされたのは、浅野氏が知事に就任するに当たって何をするか、何をしたいかということを「全く考えていなかった」と述べたことだ。
人が職業に就くとき、誰しも多かれ少なかれ何らかの目的・目標をもっているものだ。政治を志す者はことのほかその意志が強い。ところが浅野氏はそうした志をもたずに知事になったことになる。1期ごとのやるべきことについても「あまり考えなかった」「自分から目標を挙げて邁進していくという実感は薄い」とも言う。
それでは浅野氏はいったい何のために知事になったのか。志をもたない政治家というのは極めて珍しい存在だろう。
それでいてパフォーマンス、目立つことは「意図的・積極的に行なった」と言う。何を成すべきかを考えず、パフォーマンスはどんどんやる。この姿勢からもたらされる施策は、必然的に県民・マスコミをことのほか意識した場当たり的なものにならざるを得まい。浅野氏が「トップダウンで行なった」という緊急経済産業再生戦略、障害者施設解体宣言はその典型と言えるだろう。
むろん、パフォーマンス自体は悪いことではない。ただ「浅野流パフォーマンス」は一人浅野氏だけが目立つもので、県庁組織をアピールするものではなかった。トップだけが華々しく目立ち、それを支える組織には陽が当たらず存在が見えない。このことが浅野知事と職員との間に乖離を生じさせ、信頼関係を損なう一因となり、その結果、県庁の組織力の発揮・活力を鈍らせたのではなかったか。浅野氏の派手なパフォーマンスはリーダーとしての資質を疑わせる一端を垣間見せたと言えよう。
このパフォーマンスが最大限に生かされたのが選挙である。自ら述べているように、浅野氏の選挙手法は「コミットメント」と称し、選挙運動に参加するサポーター的人員を増やして、主体的に選挙に関わり、集票に結びつけていくという方法である。旧来の「ただ投票する」のではなく、「選挙運動そのものに参加できる」。これは面白いだろうし、刺激的である。「劇場型選挙」「お祭り型選挙」であり、お祭りは見ているよりも、自ら踊る方がはるかに心地よいものだ。
ゼネコン汚職の土壌に
咲いた「徒花」?
結局、3期12年の浅野県政は何一つ成果を挙げることなく幕を閉じたと言えるだろう。確かに情報公開や官官接待の打破、食糧費の問題など、それまでの県庁内の慣習を改め、新たな制度を形づくったことは評価できる。しかし、肝心の県民に対する施策・寄与・貢献の面ではこれといった成果は皆無だったことは明らかである。
インタビューで興味深かったのは、田島良昭氏の役割についてである。田島氏は福祉の専門家と見られており、そのこともあって浅野氏は知事時代、田島氏を福祉事業団副理事長を手始めに同理事長、県社会福祉協議会会長、同副会長として登用してきた。ところが、そうした「福祉の田島氏」について、浅野氏は一言も発言していない。もっぱら政策アドバイザーとしての役割だけを述べた。
このことは田島氏の本当の役割が何だったのかを示している。そして、田島氏の起用・アドバイスがどれだけ浅野知事に寄与したかと言えば、なきに等しかったのではないか。むしろ浅野・田島両氏の「二人三脚政治」は県庁内と県議会に火種を起こし、批判の対象になり、対立関係の元凶となったと言えるだろう。 |