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ピアニスト(視覚障害者)

佐藤 裕子
本当の豊かさとは

 私は以前、東欧ポーランドで学生生活を送った1988年から90年、多くの東ヨーロッパ諸国では社会主義体制が次々と崩壊していった。平和な日本からは想像だにできないような激動と混乱の中に、私はいた。
 インフレは凄まじいものだった。ある日突然、電気、ガス、水道料金が前日までの4倍に引き上げられた。バス運賃もどんどん値上げされ、留学当初30Zl(ズウオティ)だったのが、終いには700Zl(ズウオティ)にも跳ね上がった。
 社会主義国家の名物とまでいわれた行列。アパート10階の窓から通りの向かいのスーパーを見ていた妹が、大急ぎで飛び出していった。ポーランドでは店の前に行列ができていたら、まず並ぶ。先頭で何が売られているかは次の問題だ。2時間後、「ソーセージだったの、でも私の3人前で売り切れて」妹は半べそをかきながら帰ってきた。物の豊さとぬくぬくした平和に慣れた私たちは、しょっちゅうこんな失敗をした。
 そんな私たちを助けてくれたのは、極く普通のポーランド人たちだった。「HIROKO、1等の砂糖をみつけたから、あんたんちの分も買っといたわ」「キヨスクに乾電池があったの。全部買ってきたから次の日曜日に取りにいらっしやい」。
 日曜日、私たちは電車に乗り、ワルシャワ郊外に住む友人を訪ねた。するとテーブル狭しとポーランド料理が並び、おまけに帰りには持ちきれないほどのおみやけが用意されていた。彼らの生活も苦しいのに。お腹も心もいっばいになって「ありがとう」を言うと、「誰かは誰かのために、その誰かは次の誰かのために″でしょう」、ポーランド人はいつもこう言って笑った。
 名物の行列も身体障害者やお年寄り、妊婦、乳母車を押した母親など、弱者と言われる人々には最初から先頭へ行くことが許された。白い杖を持った私がバス停に立っていると、バスが到着した途端、私の両側で同じくバスを待っていた二人が同時に両脇から手を差し出し、「お手伝いしましょう」と声をかける。彼らにとって困っている人を助けるのは極く極く当然であり、おそらく助けているという意識さえ無い。
 だから日本のような助ける人″助けられる人”といった上下関係も生じない。これが本当の福祉のあり方ではないか、私はそう思った。
 ポーランドは長きに渡り他国の統治下に置かれ、人々は屈辱的忍従を強いられた。彼らはそんな時代を互いに助け合って、ポーランド人としての誇りと人間としての尊厳を守り通した。その精神が今なお脈々と彼らの内に生きつづけているのかもしれない。
 帰国してすでに10年あまり。ポーランドにも市場経済が導入され国家も国民も大きく変わっていった。しかし私は、ポーランドでの生活を経験して、いまだに問い続けている。「本当の豊さってなんだろう」「本当の福祉ってどういうことだろう」と。




2002.年末
2003.新春
合併号
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